当たり前は、やはり怖い


こんばんわ、リーマン取扱説明書です。
最初に申しておきますが今回の記事は、私自身がいまだに解決できないことを書いています。
ですので、この記事を読むことで人生のヒントが見つかるようなことはありません。
(いつもの記事に解決策があると驕っているいるわけではありません)

ですが、私が長年苦しんでいることを共有することで今一度、今回の記事の内容を皆さんに考えてもらいたいと思い執筆しています。

当たり前の怖さ

私たちの暮らしはとても恵まれているのに、それを当たり前としてしまうことで感謝をしなくなっている傾向にあります。

例えば、電車です。
昔は、移動手段と言えば徒歩が当たり前でしたが、現代の技術により電車が開発されどこへでも体力に関係なく行けることができます。

ですが、それを当たり前に感じていしまっている人は電車の出発時刻が5分遅れただけで駅員を叱りつけたりする始末です。

家族を後回しにする

貴方は、貴方を育ててくれた両親に感謝をしていますか?
朝は起こしてくれないことに苛立ち。
ご飯を作ってもらっても文句ばかり。
しまいには、家事ができていないことに対して家族を叱責したりしていませんか?
本来ならば、自分が生活しているのだから自分で家事をやるのが道理です。
ですが、毎日家族が世話をしてくれるばかりに、それが習慣化し当たり前だと思いこみ、できていなかった時に文句を言う。
なんて自分勝手なんでしょう。

過去、私にもそのような経験があります。
今では後悔していますが気づいたときには遅かったなんてこともよく聞く話です。

友人、恋人を後回しにする

会社には、服装に気を付けて出社するのに長年付き合っている友人や恋人と会うときはダル着、ノーメイクで会ってしまう。
なんてことはよくありませんか?

本来ならば自分の素敵な姿を一番見せたい人達なのに
なぜ、気が抜けてしまうのでしょうか?
なぜ、大切な人の前よりも
大切でない人の前に出る時にこそ、おしゃれをするのでしょうか?

優先順位が逆になっている気がして仕方がありません。

気を許す人間関係が出来上がっている。
ということはとても大切なことですが、親しき中にも礼儀ありという言葉があるように、親しき中にも素敵な自分であれ!だと思うのです。

どうしようもできないのならせめて、、、

もちろんメイクなどは、毎日すると肌が荒れてしまうので好きな人の前くらいは甘えてもいいかと思うのはわかりますし、私自身も同じようなことをするでしょう。

ですが気持ちの問題的に、大切な人にこそ自分の一番きれいな部分は見せたいしかっこよくありたいものなのになぜ
大切じゃない人の前でこそ綺麗な自分であろうとするのでしょうか。

それは見栄であったり、印象付けの為だったり、様々な原因が考えられます。本質を見失っている気がします。

だからと言って、社会的な地位を失うわけにはいきません。
つまり食い扶持を減らすわけにはいかないのでこの天邪鬼な行動は永遠に続くことでしょう。

ですから、せめて大切な人の前でくらい

感謝を伝えるようにしてください。
甘えさせてあげるようにしてください。
助けてあげてください。
困っていたら迷わず手伝ってあげてください。

その行動は、決してどうでもいい人にはできないことです。
当たり前なことだけど、貴方にしかできないことなのです。